Binaがネパールに戻るまで

Binaというのは私のネパールでの呼び名。本名はかなこ。

何をして生きるか

こんにちは。かなこです!

ブログ3回目の投稿から早速さぼりました。中途半端やなあ、私の決意は。有限無実行って本当かっこ悪いですよね。。。

ここで「もうこんなことしません!」なんて書いたところで「あんた約束破ったな!」と言うほど私に興味のある読者さんはいらっしゃらないと思うので、自分を戒めるのは心の中だけにします。ブログを長く書こうと自分を追い詰めると、書き始めることが億劫になってしまうので、スマホで書いても面倒に感じない程度に、短くてもいいから、文を残すようにしますね。(PCだとタイピングが楽なのでどうしても長くなりますが)

 

さて、前回の記事で書いていたように、人生における目標について、書いてみようと思います。

 

人間って、20歳あたりを超えると残りの人生のうち4分の1程の時間を仕事に費やしていくじゃないですか(月~金の5日間8時間ずつ仕事と考えて、超単純計算しました)。大げさかもしれませんが、仕事のため(生活費を得るためにも不可欠)に生きていくようなものなので、まずは仕事についてです。

 

今決めているのは、

“子どもと直接関われる仕事をする”

ということです。できれば、愛するネパールで!!!

 

3年の事務員としての社会人生活中、ネパールへ行ったことがきっかけで、国際協力をしたいという意思にスイッチが入りました。でも、国際協力をするためには”専門性”が必要だとよく聞きます。私は血が苦手ですし、かなりの頻度で死に直面する医療現場では働けない。ビジネスができるようなタイプでもない。じゃあ、何をしたいの?何ができるの?と考え続け、私なりに出した答えが、”大好きな子どものために働きたい”ということでした。

 

将来的には日本でも小学校で教員としての経験を積みたいと思っていますが、実は、中学生くらいまで保育士・幼稚園教諭を志していたんです。そして数年間働いてから、青年海外協力隊として海外で働こう!とまで考えてました(我ながらなかなか明確で現実味がある)。だから高校卒業後、短大や専門学校で保育士と幼稚園教諭免許を取得しておけば良かったものの、高校受験前に進路を両親と話したところ、反対されました。特に父。父は保育士や幼稚園教諭は重労働な割に低賃金だ、あんたは遊ぶだけが仕事だと思ってるんだろう、できれば母のように看護師になって欲しい、と。父の言わんとしていることは理解できます。親心からの言葉だったんでしょう。そこで折れた私も意志が弱く、中途半端だったので、今の遠回りも私の人生においては必要条件だったんだ、と前向きに捉えられています。悲観したところで、時間は戻って来ませんので!

 

ネパールで子ども達と関わって、やっぱり子どもと関わることが好きだし、ネパールでは日本のように全ての子どもに教育機会が保障されていない、そんな現状を知ったことで、教育に携わりたい願望が強くなりました。それとともに未熟な知識と経験で、熱意だけで子ども達に関わっていくのは彼らに失礼だし、中途半端な指導が子どもにとって害になってしまう可能性があると思い、大学に編入するという目標に繋がりました。大学編入は最終的な目標のための通過点に過ぎませんが、私にとっては人生を左右しかねない大事なステップです。第一志望の大学では、小学校教諭免許取得もできますし、興味のある領域の研究もできるので、まだ受かってもいないのに、想像する度にわくわくしています(笑)あと数か月頑張ります。

このブログでも、次回から教育の話題を取り扱っていきますね。

次回は、、、なぜ教育を受けるのか、について考えを書いていきます。ではまた!!